世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

その1  その6  その11  

その2  その7  その12

その3  その8  その13

その4  その9  その14

その5  その10  その15

表千家の茶事

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

随流斎 「随流斎延紙ノ書」より その13
一、道安、妙連(蓮)寺前ニ被居タ、又、伏見ニも被居候よし。
【大意】
道安は妙蓮寺前に住んで居られた。また、伏見にも居られた。

随流斎は『随流斎寛文八年本』や『随流斎寛文十年本』に少庵や道安の伝承も書きとめています。この一文は後者に記されている道安の伝承です。道安は天文15年(1546)、千利休居士の長男として和泉国堺(現在の大阪府堺市)の今市町に生まれ、慶長12年(1607) 2月17日に62歳で没しました。道安が生まれた同じ年には、利休の後妻宗恩の子で、利休居士の養子となった少庵も生まれています。
道安は父の利休と共に豊臣秀吉の茶堂(さどう)もつとめていましたので、堺を拠点としながら、京都にも屋敷を持っていました。その場所が妙蓮寺の前であったといいます。妙蓮寺は本門法華宗の大本山で、現在、京都市上京区寺ノ内通大宮東入ルにありますが、もとは四条大宮にあり、天正15年(1587)の秀吉の聚楽第造営によって現在の地に移されました。道安がいつ頃、妙蓮寺の前に住んでいたのかはわかりませんが、妙蓮寺が現在の地に移された後のことと思われます。



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