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その7  その15  その23

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千少庵
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江岑宗左 「江岑宗左茶書」より その24
宗巴一覧之為ニ書申候

江岑がのこした茶書は、あくまで千家の内部に伝えるものでした。『茶話指月集』のように版本として広く世間に普及した茶書とは異なります。随流斎は『江岑夏書』を一生懸命に読んだと思われますが、そこに書かれていることは、もちろん千家の伝承すべてではありません。江岑が記億にとどめていた一部に過ぎないと言ってもよいでしょう。
随流斎は江岑からこの茶書には書かれていない伝承もたくさん聞いたと思われます。祖父の元伯宗旦が万治元年(1658)に81歳で亡くなった時、随流斎は9歳でした。幼いながらに宗旦から話を聞くこともあったでしょう。また祖母の真巌宗見(しんがんそうけん)や叔父の仙叟宗室からも千家に伝わる話を聞いたことと思われます。 そして随流斎も自ら聞書・覚書を書きとめた茶書をのこしました。『随流斎延紙ノ書(ずいりゅうさいのべがみのしょ)』は以前から知られるものですが、近年、『随流斎寛文八年本』『随流斎寛文十年本』という新たな茶書も紹介されました。
随流斎は江岑の遺志を受け継ぎ、自らも茶書をのこして千家の財産ともいうべき伝承をのちの家元後嗣に伝えたのです。


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