【大意】
私はうっかりと心得ていたため、(宗旦に聞き)残したことが多くあります。
江岑宗左は、父の宗旦が語った茶の湯に関するいろいろな話を書きとめ、後世の千家に伝えるべき茶書として残しました。その代表的なものが『江岑夏書』(こうしんげがき)二冊です。宗旦が江岑に語った話は、利休の茶の湯や道具、千家に伝わるならい、道具とその扱い、点前や所作、茶室や露地のことなど、実に多岐にわたります。
また、江岑は『逢源斎書』のなかで「宗旦は八十一歳まで生きたので、茶の湯のことをいろいろと細かく尋ねた」と記していて、江岑も積極的に宗旦から話を聞きました。
しかし、宗旦の話をうっかりと聞いていたため、その真意がどこにあったのか、聞き逃したこともあったといいます。その例として、この言葉の前には次のように記されています。大意を記してみましょう。
「茶の湯は夜咄ができて稽古の仕上がりである、と宗旦はたびたび仰せになっていた。ある時、宗旦が(本法寺の)太心に話をしたなかで、今度の口切は夜咄をしようと思う、と仰せになった」。