【大意】
茶の湯は、利(理屈)詰めになってしまうものである。しかし、その先を行けば、利(理屈)を超えた世界がある。たとえば、道具の置き合わせは、実際に置いてみて、もっとも自然でよい所に置くのである。
ここでいう「利」は、理屈を意味しているのでしょう。茶の湯は、どうしても理屈が勝ってしまうところがある、しかし、その先に理屈を超えた境地がある、というのです。
その一例としてあげているのが道具の置き合わせです。茶の湯の道具を置き合わせる時、道具と道具との間を畳目いくつにしたらよいか、といった理屈で考えますが、それにとらわれず自然に置いてみて、全体のバランスがとれた置き合わせが一番よい、ということなのでしょう。
さらにこのあと、江岑はこう続けています。「(それは)目が利かなければできない。これが第一である。安易に心得ていてはできないことである。極意である」と。