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しかし、利休の懐石は、ただ質素というだけではなく、暖かいものは暖かく十分に調理され、客の食べる頃合いにあわせて順番に出されたことにも大きな意味がありました。
利休の料理のあり方は、孫の元伯宗旦にも継承されました。たとえば明暦元年(1655)11月1日の宗旦の茶会を見ると、料理は、鯛の汁、鯛の酒びて(白酒に浸した料理)、鮭の焼物の一汁二菜で、同じ鯛を二種の料理に用いています。鯛はご馳走ということもあったでしょうが、一つの食材を二種の料理に用いるといった、宗旦の工夫がうかがえます。
江岑自らがおこなった茶会の記録は残されていませんので、実際にどのような料理で客をもてなしたのかはわかりません。江岑が招かれた茶会には、亭主によってさまざまな料理が出されており、たくさんの豪華な料理が出された茶会もあります。しかし、江岑は一汁三菜の懐石を千家の茶の湯の料理の基本として伝えたのです。
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