世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

その1  その9  その17

その2  その10  その18

その3  その11  その19

その4  その12  その20

その5  その13  その21 

その6  その14  その22 

その7  その15  その23

その8  その16  その24

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

表千家の茶事

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

江岑宗左 「江岑宗左茶書」より その6
一、料理、さい三つ
しかし、利休の懐石は、ただ質素というだけではなく、暖かいものは暖かく十分に調理され、客の食べる頃合いにあわせて順番に出されたことにも大きな意味がありました。
利休の料理のあり方は、孫の元伯宗旦にも継承されました。たとえば明暦元年(1655)11月1日の宗旦の茶会を見ると、料理は、鯛の汁、鯛の酒びて(白酒に浸した料理)、鮭の焼物の一汁二菜で、同じ鯛を二種の料理に用いています。鯛はご馳走ということもあったでしょうが、一つの食材を二種の料理に用いるといった、宗旦の工夫がうかがえます。
江岑自らがおこなった茶会の記録は残されていませんので、実際にどのような料理で客をもてなしたのかはわかりません。江岑が招かれた茶会には、亭主によってさまざまな料理が出されており、たくさんの豪華な料理が出された茶会もあります。しかし、江岑は一汁三菜の懐石を千家の茶の湯の料理の基本として伝えたのです。
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Japanese Tea Culture