千利休は、自らの意に叶った茶の湯の茶碗を長次郎(樂家初代)につくらせました。なかでも利休が銘をつけた黒茶碗の「大黒」(おおぐろ)「東陽坊」(とうようぼう)「鉢開」(はちひらき)、赤茶碗の「木守」(きまもり)「早舟」(はやふね)「検校」(けんぎょう)「臨済」(りんざい)は、いつの頃からか「
利休七種」あるいは「長次郎七種」と呼ばれてきました。
しかし、江岑のこのことばによれば、「臨済」は織田有楽がつくった茶碗であるといいます。さらに江岑は「早舟の茶碗は駿河という人が細工をして焼いたもの」とも書きとめていて(『江岑咄之覚』)、早舟の茶碗は駿河という人の作であるといいます。
この話と関連して、江岑は「黒茶碗の事、長二郎焼で利休が所持なされた大黒、東陽坊は、少庵より宗旦へ参り、二つ共に見事なことである」(『逢源斎書』)と記しています。また「宗易(利休)が京焼茶碗に名を付けた名物、早舟、木守、臨済、検校」(『江岑咄之覚』)とも記しています。