世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

その1  その9  その17

その2  その10  その18

その3  その11  その19

その4  その12  その20

その5  その13  その21 

その6  その14  その22 

その7  その15  その23 

その8  その16  その24

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

表千家の茶事

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

江岑宗左 「江岑宗左茶書」より その7
茶之湯利のつまり申斗也、…

「目が利く」というのは、見極める確かな目を持っているということです。道具をどのように置き合わせれば、全体の調和がとれた自然な置き合わせになるか、よくわかっていることをいうのだと思われます。それは、安易に考えていてはだめで、「極意」であると言っています。したがって、江岑がいかに、このことに重きを置いていたのかがわかります。
では、どうすれば、理屈を超えて、理屈のない境地に達することができるのでしょうか。江岑はとくに記していませんが、はじめは理屈に徹しなさい、ということであるように思われます。その後に、理屈を忘れてしまうような境地が開けてくるということかもしれません。 この「理屈」を「作為」という語に置きかえれば、作為を超えた先にあるのは、素直で自然な心持ちということになります。多くの経験をつんで体得することが大切であると、江岑は言いたかったのではないでしょうか。

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