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啐斎好 松ノ木溜塗丸卓
ここには大きな松の木が植わっている。 不審菴の松といえば、 啐斎(そったくさい)好みの松の木の道具が思い起こされる。 京都には大きな火災が三度あった。古い火事といえば、室町時代の応仁の乱の火事、この間の火事といえば、幕末の蛤御門(はまぐりごもん)の変での火事を、そして 啐斎45歳の天明8年(1788年)京都の三分の二を焼いたという天明の大火の三つである。 天明の大火では家元も罹災し、不審菴の際(きわ)にあった大松も枯れてしまった。それを惜しんで 啐斎はその松で摺(す)り漆の丸卓(まるじょく)を好まれ、他に松摺り漆丸香台、鉋目(かんなめ)小板なども好まれた。覚々斎(かくかくさい)の老松(おいまつ)割蓋茶器、鴛鴦(おしどり)香合、松硯箱などの妙喜庵の松と、惺斎(せいさい)時代に大徳寺の五老松で造られたという 好み道具と併せて記憶に残したい松の道具である。不審菴内の植木でといえば吸江斎(きゅうこうさい)が桜で茶杓を、碌々斎(ろくろくさい)がお祖堂側の槙(まき)で香合を造られた。 また惺斎宗匠の時代には、裏の竹藪で切った青竹を初釜に使い、後福引きにされたということである。 お家元宗匠のお手元には、お家の改築前にあった桜の木が残されている。どんなお道具に生まれ変わるのか、楽しみである。
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