不審菴の内露地と残月亭前の境に梅見門(ばいけんもん)がある。杉皮葺の屋根が二本の檜の丸柱で支えられ、細い竹が三寸程(約10センチ)の等間隔で粗く打たれた両開きの戸が付けられている。屋根が重々しく見えるような、華奢な開き戸である。
この開き戸に合わせたような間隔で、細い横木に細竹を交互に張り付けた垣根が両側につながっている。
よく見ると、高さが不揃いで、斜めに落とした竹の先の切り口も、別々な方向に向いている。茶席に魔がささないように竹槍を並べてあるようだ。これが五代随流斎(ずいりゅうさい)の意匠といわれている随流垣である。
久田家から養子に入られた随流斎は、「未だ主に不ず」という文言を花押にされたぐらい、とても控えめな立場を取られた。在世中に意匠を凝(こ)らした道具を創り出されたわけでもなく、おそらくこの垣根も兄の久田宗全(ひさだそうぜん)と相談され決められたのではないだろうか。何気ない風情で残月亭と不審菴をうまく区切っている。
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