その空間をつないでいる潜り戸や枝折戸(しおりど)、梅軒門(ばいけんもん)などの中門(ちゅうもん)や、またそれぞれを仕切る垣根など、そのゆっくりと歩む所作の中に、たくさんの見所がある。
このゆっくりとした動きは、茶席の中にまで続いていく。
その歩みの速度を決めているのが、飛石や延段(のべだん)の配置であり、人の動きを完全にコントロールしている。つまり、飛石以外の所へは、足を踏み入れる事はしないので、市中の山居とはいえ、決して迷うことなく目的の茶室まで案内してくれるのである。だからこそ、飛石の打ち方が古来よりやかましくいわれる所以である。
室町時代に始まった書院造りで、池を巡って散策し金閣、銀閣のような塔に登り、闘茶(とうちゃ)などを楽しんだという当時の貴族達の振る舞いは、やがて珠光や紹鴎、また利休の茶の湯の中では、山居の侘びた茶室での茶の湯へと変化していった。
いずれにせよ、日本庭園の伝統的な飛石の据え方は、大変難しいとされている。
飛石の打ち方で、利休は「わたりを六分、景四分」といい、織部は「わたり四分、景六分」といったと伝えられている(『石州三百ヶ条』)。利休は実用を重んじたが、織部は非常に大きな飛石を据えるなど、景観の美を重んじたということである。茶の湯に対峙する利休の姿が見えるように思える。
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