やきものに筆で文様が描かれるようになったのは、桃山時代の志野や古唐津がどうも先陣を切ったらしい。 この古唐津の絵付けには、桃山時代ならではの自由な気風があふれていて、おもわず顔がほころぶようなものに出くわす。この茶碗は、形から推測すると、はじめは天目茶碗を作ろうとしているのだろうが、お約束の天目釉は掛けていない。 「かくせねばならぬ」といった窮屈な考えはまったくなく、ここに絵付けでもしてみようとするところが、古唐津陶工のおおらかでおもしろいところである。想像するにこの陶工は最初から何を描こうかなどまったく考えていなかったに違いない。
その日はよほど機嫌が良かったのか、鼻唄でも唄いながら調子良く筆を走らせたのであろう。
過剰すぎるとも言えるが、かえって陶工の〝描く喜び〟が溢れんばかりに伝わってきて、見る者の眼にほのぼのとしたくつろぎや親しみを与える。こうした天真爛漫なところが、この茶碗のたまらない魅力になっている。
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