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初代正玄は、大徳寺の江月和尚に参禅しており、元伯宗旦とも面識はあったと思いますが、千家との関わりができるのは、三代正玄時代に覚々斎の御用をするようになってからのことです。こうして江戸時代から明治維新を経て現在に至るまで、柄杓師として、また竹細工に関するお家元の御用を続けております。
私は、昭和35年に先代の大西さん、先代の飛来さん、当代の奥村さん、土田さんと一緒に家元へ出仕しました。奥村さんのお話に写真も出ていますね。その後昭和41年に家督を継ぎました。
その少し前、昭和38、39年ごろですが、マダケに花が咲き実がなって枯れてしまうという「自然枯(じねんこ)」と呼ばれる現象が起きました。この現象は100年から120年ごとに起こるとされています。当家に残っている記録によると、そのおよそ110年前の嘉永5年(1852)に同じような事が起こり、竹細工の御用をする4家の連名で、「思わしい竹が手に入らないので、しばしお待ちいただきたい」という書状が出されたようです。
急に全ての竹がなくなってしまうわけではありませんが、高度成長の時代でしたから、それまで京都周辺でも手に入っていた竹が、枯れたのを機に宅地造成され、竹林自体がなくなって行きました。良質の竹を求めて近畿だけではなく四国や北陸の方まで探しに行くこともありました。
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黒田家玄関 |
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