2)2冊目は栄西禅師の『喫茶養生記』です。栄西(1141~1215)は備中吉備津宮の神官の子として生まれ、8才で出家、14才で落髪し栄西と名乗ります。19才~23才の間叡山に入り天台の教えを学び、28才のとき初入宋、天台の新章疏(新解釈本)30余部60巻を持ち帰り叡山の座首明雲に献じました。47才で再度入宋し、4年後に平戸に帰国、ちょうどその年時代は平家から源氏に移ります。九州から京都を経て鎌倉で北条政子と源賴家の帰依を得て建仁2年(1202年)京都に真言・天台・禅を合せ置く仏教の総合道場として建仁寺を建立しました。この栄西が74才のとき纏めたのが『喫茶養生記』です。
同著は「巻上」と「巻下」からなり、「巻上」では茶の健康保持薬としての効用を強く説いています。曰く、「日本は苦味を食わず。但し大国(中国)のみ独り茶を喫す。故に心臓病無く、亦長命なり。わが国多く痩を病む人有り。是れ茶を喫せざるの致す所なり。若し人神快からざる時は、必ず茶を喫すべし。」あるいは「心臓は是れ五臓の君子なり。茶は是れ苦味の上首なり。これに因って心臓、この味を愛す。心臓興るときは、則ち諸臓を安んずるなり。」と。
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