一方の「巻下」では茶ではなく桑粥あるいは桑湯が「飲水病」、「中風」、「脚気の病」などに薬効があるとの内容になっておりタイトルとは異なったものになっています。また、「巻上」では『茶経』、『宋録』、『本草』、『白氏文集詩』など20余の文献の引用で茶を紹介しているのに対し、「巻下」ではほとんど引用が無く極めてバランスに欠けています。これはおそらく、「巻上」が書かれた後に「巻下」が補追されたからではないかとの見方があります。
今ひとつの疑問点は栄西が入宋した頃の禅寺院は日常に喫茶が行われており、客を招いてもてなす「茶礼」がしばしば行われ、「茶状」のやりとりや「特為茶」
「勧茶」なども行われていました。宋の禅院で修行した栄西がこれらの機会に接しなかったはずは無いにもかかわらず、『喫茶養生記』では「茶礼」について全く触れられていないのは奇異に感じられます。おそらく喫茶の習慣がなかった当時の日本に茶を広めるためにはその薬効に集中して説いたのではないでしょうか。
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