世界の喫茶文化
茶の湯の伝統
利休の茶の湯とその流れ
茶室と露地
形とふるまい
茶の湯の道具
茶の湯の楽しみ
静聴松風
茶人のことば
村田珠光「心の文」
武野紹鴎『山上宗二記』より
千利休『逢源斎書』より
千道安「茶の湯道歌」より
千宗旦「元伯宗旦文書」より
千宗旦「茶杓絵讃」より
江岑宗左「江岑宗左茶書」より
千少庵 「少庵の事績 京都と会津」
随流斎『随流斎延紙ノ書』より
表千家の茶事
内弟子「玄関」の一年
茶の湯の歳時
茶の湯の菓子
茶室への誘い
利休をたずねる
花所望
道安の茶の湯を知る史料は多くありませんが、千家の伝承のなかには、道安と少庵の茶の湯を比較した話がいくつかあります。ここでは、利休の少庵の茶に対する評価が高いのに比べて、道安の茶に対しては厳しい評価をくだしています。しかし、利休は道安の茶の湯の実力を認めていたという伝承もあります。 さて、この道歌のあとには「右之心、茶道の奥儀にて御さ候、御工夫可有候哉 慶長六年十月三日」と記されています。心は茶道の奥義(おうぎ)すなわち極意であるといっています。さらに注目されるのは「茶道」という言葉です。茶の湯をもって主君に仕える人を「茶道」(茶堂、茶頭とも)と書く例は古くからありますが、茶の湯の道という意味で「茶道」と書いた例は、利休の時代にはありません。寛永期(江戸時代の初期)以降に多く見えます。したがって、道安の茶の湯道歌は「茶道」の語の最も早い例といえるかもしれません。
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