さて、少庵がどのような用事で八瀬に行ったのかはわかりませんが、利休と少庵の合作による「矢瀬」という銘の茶杓が伝わっています。これには少庵の二男、山科宗甫(やましなそうほ 元伯宗旦の弟)の添状があり、次のように記されています。
この茶杓は、利休が矢瀬(八瀬)の釜風呂に湯治に行って当地に
滞在中、少庵が見舞に訪れた際、宿にあった竹の垂木で茶杓を
削り、利休が手直ししたものです。親の少庵が語っていました。
少庵が息子の宗甫にこの茶杓の由来を語って聞かせたという、まさに臨場感あふれる添状です。
少庵もしばらく八瀬に湯治に出かけており、そこから帰ってこの手紙を宛てたのかもしれません。山中(八瀬)の土産が何もないので柚を贈るというのは、八瀬の柚とも考えられますが、あるいは家元の露地にあった柚でしょうか。
手紙には「十日」としか記載はありませんが、柚が色づく9月(今でいえば10月中旬)であったかもしれません。
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