した覚書きが家に伝わっております。この善兵衛を初代としており、私で六代目となります。当初は町家に畳を納めておりましたが、のちに、数寄屋大工の建てた茶室などに畳を納めるところから、数寄屋畳師というようになりました。
お家元には、惺斎宗匠の頃に私の祖父がお出入りさせていただくようになったと聞いております。私が先代に連れられて初めてお家元に寄せていただいたのは、昭和41年頃、この仕事を始めてすぐ、19歳か20歳だったと記憶しています。
その頃のお家元には、手織りの「中継表(なかつぎおもて)」という最高級の畳表を付けた畳を納めていました。これは表機(おもてばた)で、藺草(いぐさ)の艶のよい部分のみが表に出るように、中央で二本の藺草を交叉させて織ったものです。一枚を仕上げるのに一日かかるたいへんな作業で、今では織手もなく、「中継表」は失われてしまい、畳師としては寂しい思いがつきません。
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