一力亭は代々、万屋治郎右衞門(よろずやじろうえもん)を名乗ってきました。元禄12年(1699)に亡くなった記録がある当主を初代とし、現在で14代を数えます。初代の頃より茶屋をいとなんでいたようで、屋号を万屋(よろずや、通称まんてい)、明治になって杉浦姓を名乗りました。 幕末の蛤御門(はまぐりごもん)の変の年に、祇園町一帯が焼ける火事があり、焼けてしまいました。明治3年(1870)に建て直した時は四条通に玄関がありました。大正になると、花街は四条通りに面して商売を許されなくなり、そこに市電が通ることもあって、玄関を花見小路側に付け替えました。 今でも、昔の名残で四条通側のお座敷を、今の玄関からは一番奥になるのですが、「表座敷」と呼び習わしております。
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