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一力は「仮名手本忠臣蔵」に登場します。大石内蔵助さんが足繁く通ったのは伏見の遊郭といわれていますが、お芝居が作られる時、当時栄えていた祇園町を舞台に、「七段目 祇園一力茶屋」の場として使われました。 それから、「忠臣蔵といえば一力茶屋」と知れわたるようになったので、明治になって9代目治郎右衞門が店の名を「一力亭」に変えたそうです。 9代目さんは、維新後衰退していた京都で「都をどり」を創始し、祇園甲部に組合をつくり、芸妓さんや舞妓さんを近代女性の職業として確立しました。 一力では、この9代目さんを中興の祖としております。
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