即中斎宗匠は「明石鯛の造りと出汁巻卵」がご好物であったと聞いております。宗匠との御縁で、三千家の御家族方をはじめ、千家十職の皆様にも可愛がって頂きました。
第二次世界大戦が終わって間もないころ、十職様の稽古茶事に、祖父が懐石の出張を依頼され、ご指導を頂いておりました。永樂即全先生からはその当時のエピソードを聞かされたこともございます。
また、母、冨久子は、大中会に入会を許されて、建仁寺両足院でお点前の稽古に伺っておりました。春秋の茶会や利休忌、天然忌など、さまざまな行事に参加させて頂きました。
昭和29年春、祖父は自分の年齢も考えて、カウンターの店を伯父正一に譲り(現在のたん熊北店)自分は、木屋町仏光寺下ルの地に、新たな店舗を求めて、本拠地を移しました。 (現在の本家たん熊)
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