この新店舗の開店の折には、茶室の席披きも兼ねて、即中斎宗匠御一行を御招きし、汾陽昌三宗匠の後見で、母、冨久子がお点前をさせて頂きました。その折に即中斎宗匠より頂いた御祝が「目出鯛」の茶杓、一閑張の中、小の棗一双でございます。この溜中棗には、蓋の甲に「淡雪」小棗には「小熊」と即中斎宗匠の直書がございまして、「淡」と「熊」で「たん熊」となる洒落た趣向の茶器で、以来、当店の家宝として大切に伝わっております。
昭和34年に、祖父は東京の赤坂にも出店しました。その時、即中斎宗匠からは、
「たん熊の親父が此度東京のど真中に店を出しました。京のお茶風をとり入れ季節の物をよく活かした獨特の庖丁のさえは、京美人の若女将の行届いたサービスと共に必ずや東都の食通の皆様の御気に入る事と思います。どうぞ可愛がってやって下さい。京都表千家千宗左」と推薦の御言葉を頂いております。祖父の人生の絶頂期でございました。
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