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家業のこともあり、わたしは東京藝術大学に進みましたが、その頃はまだ工芸科に陶芸がありませんでした。そこで日本画を専攻しました。その後陶芸もでき、大学院へ進みました。千家様に出仕したのは、大学院を修了して京都に戻った昭和43年、24歳のときでした。13代お家元即中斎宗匠の時代で、出仕する年齢に決まりはないから、早いほうがよいとのことで、樂家先代の覚入さんの後見でお家元の門をくぐりました。それまでも、即中斎宗匠のことはよく存じあげておりましたが、はじめて表千家のお家元宗匠という存在にふれた瞬間でした。
わたしは、父から焼物について教えられたことはなく、いずれ家を継ぐという意識はすり込まれていても、焼物師になりたいという強い思いはありませんでした。
襲名する5年くらい前になると、茶道具というものを意識し始めるようになりましたが、むしろあまり近づかないようにしていたというべきかもしれません。近づくと、すぐに跳ね返されてしまうような感じがあったように思います。もちろん、造ったものを父に見られるのがいやだ、という気持ちもありました。それで、自分がやってきたことを生かせる焼物を考え、金彩や抽象的なものなどを造っていました。家は家、自分は自分という考えであったとおもいます。
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