初代勝治、二代治三郎、三代東雄と続く私ども柳桜園は大徳寺山内の塔頭・玉林院を菩提寺にしていますが、これは勝治の師浦野家代々の墓があったからです。玉林院は慶長3年(1598)、後陽成天皇の侍医であった曲直瀬正琳(まなせしょうりん)氏の創建であり、境内に氏の墓があるのですが、同じ医師浦野氏の墓があることに不思議な縁を感じるところであります。現在、浦野家は絶えていますが、伊藤家の墓と共に今も当代店主が守り続けています。
二代治三郎も多度の伊藤家より柳桜園に入りました。茶の湯を大変好み、現在も続く玉林院の月釜「洞雲(とううん)会」の発起人でした。店舗に飾っている茶壷は初代・二代が蒐集したものと聞いております。
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