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「かまん(我慢)」というのは、こんにちの意味とは違って「われこそは」と慢心すること。「かしやう(我執、あるいは我情とも)」は自分に執着して我を張ることです。
珠光は、茶の湯の道にとって最も大きな妨げとなるのは、慢心と自分への執着である、といいます。このあと続けて「巧者をねたみ、初心者を見下すようなことはあってはならない」と言っています。人の心には慢心と自分への執着があるから、自分よりも優れた人に対して反感を持ち、初心者を見下す。「優れた人には近づいて、その上手なところに感心する気持ちが大切であるし、初心者はその修行を助けてやらねばならない」と説いています。
珠光が生きた室町時代、人びとが集まって茶を飲むことが楽しみとなり、茶の産地や銘柄を飲みあてる「闘茶」などが盛んにおこなわれ、茶の湯はにぎやかな宴会の中で楽しまれていました。こうした中、珠光が「心の文」で主張したことは、茶の湯の歴史において画期的なできごとであり、わび茶の出発点となるものでした。 |
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