少庵宗淳居士 慶長十九甲寅年 九月七日 六十九死

また、少庵の妻、喜室宗桂(きしつそうけい)の忌日も次のように記されています。

喜室宗桂 慶長十乙巳年 五十五年 五十三 九月廿九日

ここに「五十五年」とありますが、江岑は父、元伯宗旦の三回忌にあたる万治3年(1660)にこの先祖書をしたためていますので、そこから遡って55年前という意味に解されます。
少庵なきあと、元伯宗旦が千家三代の当主になりました。宗旦が何時、少庵から千家の家督を相続したのか明らかではありませんが、少庵生前のことであったとも考えられています。
慶長19年に少庵がなくなった時、宗旦は37歳でした。先妻の日安妙宗(法名 にちあんみょうしゅう)との間に生まれた次男の一翁宗守は10歳ですから、長男の閑翁宗拙は12歳くらいであったと推測されます(宗拙の生年はわかっていません)。また、この時には後妻の真巌宗見を迎えており、宗見との間に生まれた三男の江岑宗左は2歳でした。娘のくれと四男の仙叟宗室はまだ生まれていません。