外腰掛から揚げ簀戸を潜り、空堀を渡ってさらに、奥山の淋しい道を思わせるような石畳を通ると、やがて祖堂です。前方の空堀に大きな自然石の手水鉢が蹲(うずく)まるように据わっています。これが聚楽屋敷の二畳敷の露地に据えられていた手水鉢なのです。 屋根は茅葺で、勾配もはやく、聖堂らしい厳粛さを漂わせています。如心斎の建てた祖堂も茅葺でした。内部は四畳半、躙口の正面に上段を設け、その奥に円窓をあけた利休堂があり、利休の座像が安置されています。上段の脇には床が横向きにつくられています。点前座は洞庫をそなえ、炉を四畳半切とし、炉の前かどに中柱を立て、客座との間に仕切壁をつけ、火灯口を開いています。亭主は運び付けを終ってから太鼓襖をあけるのです。道安囲と呼ぶ構えです。再興後間もない頃の千家に向切の道安囲の三畳敷がありましたが、祖堂にはふさわしい構えです。窓が少なく厳粛な気分が漂っています。突上窓の操作によって席中に窓からの光を導き入れることもできます。点前座の隅の柱が途中から隠れています。楊子柱と呼んでいます。
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