宗旦から一畳半の不審菴を譲りうけた江岑は、建て替えることを考えていたようです。川上不白によると、江岑は「殊の外肥満にて 宗旦へ御相談なされ 今の三畳半の座敷に替(かわ)」ったと、建て替えの事情を説明しています。少庵の深三畳台目への思いもあったかも知れません。ところが今度は、横に長い平(ひら)三畳台目にかわりました。一畳半で体験してきた亭主の座と客の座との親しみのこもった関係を維持したいという気持ちから、一畳と台目畳の間に二畳を挿入するという間取りになったのでしょう。それに伴って給仕口が床と並びました。ただ茶道口は、少庵時代の深三畳台目と同じ勝手で、点前座の風炉先の方にあけられました。そのために点前座の勝手付にはやはり板畳を添え幅を広げなければなりませんでした。これは不審菴が書院(残月亭)の南側に接して、南向に建てられているからです。こうした不審菴特有の点前座の茶道口は開き襖になっています。昔は襖を引いていましたが、宗旦が「釣襖も侘(わび)て面白し」と言って改めたそうです。 天井は床前が蒲(がま)を張った平天井、躙口の方が化粧屋根裏、そして点前座の上も化粧屋根裏です。天井の重なり合う所をしっかりと支えているのが、台目切に切られた炉のかどに立つ中柱です。半間の袖壁には、竹の壁留が水平に通って、客座から道具座がよく見えるように構成されています。このような構成が、千家の台目構えの手本となりました。 不審菴の外観は、切妻造りの主屋根の前面と側面(点前座上)に庇を付けおろし、すべて大和葺で、実に複雑な、しかし軽快な草庵らしい姿を組み立てています。残月亭は不審菴の背後にあり、西側から上がるようになっていました。聚楽屋敷の色付書院には上段二畳と四畳の中段がありました。少庵は中段を省き、少し縮小を図りながら色付書院の特色を巧みに再現しました。
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