お家元からお仕事をいただいたのは祖父の代で、松風楼(大正10年竣工)の建設に携わらせていただいたのが最初と聞いております。お家元の普請には代々いろいろなお家筋がおありだったと思いますが、同じ大工といっても役割はいろいろです。祖父は茶室の連子窓なども手がけたと聞いています。 父は、明治39年のお家元の火事のあと千家に出入りさせていただきました。小林一三(逸翁)さんをはじめ、お屋敷町で有名な神戸の芦屋や六麓荘の邸宅などにも出入りしていたそうです。
私は、中学校を卒業してすぐに大工の見習いを始めました。父の出入り先にも一緒に連れて行ってもらい、町屋の建築現場ではなかなかできない、茶室や茶庭の大工仕事の手伝いをさせてもらいました。10年ほどあちらこちらで経験をつんでから父に連れられて、お家元で作事方の大工としてお世話になることになりました。
作事方の大工の主な仕事は、茶室や露地の木造の部分を傷まないように手入れし、劣化すれば元どおりに修復することです。お家元での私の最初の仕事は、夏の建具の取替えだったように思います。父に古くなり傷んだ簀戸(すど)の修理の仕方を習ったことを覚えています。
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