世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

その1

その2

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

表千家の茶事

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

武野紹鴎 『山上宗二記』より その2
紹鴎ハ五十四而(ニテ)遠行、茶湯ハ正風体之盛ニ死去ナリ、
【大意】
紹鴎は五十四歳で他界、その茶の湯は正風体(しょうふうてい)の盛りであった。

利休の高弟、山上宗二が紹鴎の茶の湯を評した言葉です。「正風体」とは和歌や連歌のスタイルを表現する言葉で、くせのない普通の風体をさし、「異風」あるいは「変風」に対する語です。紹鴎はその茶の湯が正風体の盛りの時に死去してしまったというのです。さらに、宗二はそれをたとえて「吉野の花の盛りを過ぎて、夏も越し、秋の月、紅葉に似たり」と続けています。
では、紹鴎の正風体の茶の湯とはいかなる茶の湯だったのでしょうか。紹鴎は堺でも屈指の豪商で、その財力にまかせて多くの名物道具を持ち、茶の湯の巧者として誰もがその実力を認める存在でした。
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