この七畳の席には、庭側に台目の入側があり水屋横には二畳の丸畳が入っている。碌々斎はこの二畳と台目二畳の一角を切り取って、逆勝手向切の席とした。そこに如心斎の大横物「無一物」の筆を扁額にして掲げたのである。
床の間はなく壁に竹釘の単純な壁床とし、水屋出入りの戸当り柱(とあたりばしら)に花釘を打っただけの簡素なしつらえである。
七畳席の鞘の間(さやのま)を上手に使い手軽に点前ができる。年始挨拶の方々への呈茶の場となったり、またお家元やご家族の方々が、お正月の新しいお茶碗で一服のお茶を楽しまれる席でもある。
利休から400年を越え、各時代の要求やまた何度かの罹災を乗り越えて継続されてきた千家の茶席や露地には、大きな歴史の積み重ねがある。
新しく生まれてくるものも、また時間と共に少しずつ変化していく。
再び訪れたら、また新たな発見があると確信している。
|