啐 斎の父、如心斎は長年に亘って研鑽し七事式を創り上げた。その点前の一つ「花月」から命名された花月楼という如心斎好の八畳敷がある。この席は七事式の稽古がしやすいような畳の敷き方になっている。ちなみに新席の一番北側がこの花月楼の形式を踏んでいる。
面白いことにその点前が流行したことで、啐 斎は元の形の稽古に戻ろうと、七事式のできない畳の敷き方を実践した。それがこの七畳の席である。
台目床にして床の落掛を低くし、床脇の吹抜に細い竹を高さ不揃いに打ったのも、随流垣の意匠に見られる侘びた風情を感じさせられる。
大正に惺斎宗匠が松風楼を完成するまで、この席が稽古場であったという。
ここでも席名を付けずに七畳と呼ぶのは、主たる広間である残月亭の並びにあって控えとしての考えなのであろう。後に啐 斎の意を汲むことで、稽古場として重要な席となった。
表流をなさる方にとって、松風楼と並んで、写しを建ててみたい広間の茶席の一つであろう。
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