江岑は恰幅が良かったので、一畳台目を三畳台目にしたということだが、まだ父元伯が在世中のことなので色々と相談したのであろう。何となく現実的で微笑ましい話である。
この三畳台目の形は、既に少庵が造ったという説もあるようだ。
さて内露地を歩いて南向きに造られた不審菴に入ると、正面に床がある。いわゆる幅四尺三寸の台目床(だいめどこ)である。この床の寸法も、珠光、紹鴎の時代の一間(いっけん)床から、利休の五尺の床、少庵の四尺床と小さくなり、その少庵の床を参考に利休が四尺三寸を考案したと伝えられている。
こうした小さな茶席に入って思うのが、部屋の明るさのことである。
日本の建築物は大きな屋根があり、庇(ひさし)を長く伸ばして雨風を凌ぐようになっている。西洋では窓を大きくして光を取り込むような構造が多い。
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