この頃、大寄せの茶会等では、「食籠」が使われ、正式な菓子器と考えられています。
啐啄斎時代の書物『茶道筌蹄』には、茶事に使う器物が分類されて記されています。ここで「食籠」は、菓子器ではなく、食器に分類されています。「重箱」と「通盆」の間にあります。「菓子盆」は、「惣菓子盆(干菓子盆)」とならんで懐石用具の最後に記されています。縁高や高坏などが含まれます。「食籠」には、「元伯好一閑張」、「覚々斎好網の絵」がありますが、この配列からは、菓子ではなく、料理を持った器であります。近年多くの食籠が菓子器として好まれておりますが、ほとんどは惺斎宗匠以降であります。この時期から家元でも稽古が行われる様になりました。惺斎宗匠は非常に厳格な方でありましたから、稽古場に蓋なしの菓子鉢を置きっぱなしにすると、ほこりもかかり、風で乾くこともあり、それを嫌われたと思われます。本来、煮物などの湯気の出る物に蓋をして出すための器でありました。茶事や茶会の様にその都度、改める場合は、必要ありません。長い時間、出し放しにする稽古場に用いられると考えると、決して正式な道具ではなく、稽古場道具であります。
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