8世紀に茶の百科全書ともいうべき『茶経』が陸羽によって書かれます。唐代の茶の様子がこの『茶経』によって知られますが、まず茶は今と違って団茶といわれるような固まりにして保存するスタイルでした。これを火であぶり、さらに茶研といわれる薬研(やげん)風の臼で粉にし、その茶の粉を湯に投じて塩などで味付けをして飲むという飲み方であったようです。 『茶経』には茶の歴史や道具についても書かれていますが、特に注目されるのは、茶が「倹の徳」を備える人にふさわしいと書かれていることです。倹の徳とは慎み深い徳という意味です。つまり、茶が精神的な文化であるということを陸羽は『茶経』に記しているのです。唐代から宋代に時代がかわると、茶は中国全土にひろがり、政府が茶の専売制をしいて政治的にも重要な財源にするような重要な産物になります。さらに明代になりますと、それまでの抹茶から葉茶へ茶のスタイルがかわり、こんにちの中国茶が完成されたといえます。
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