茶の湯の文化は、鎌倉時代に抹茶を飲む習慣が、禅宗文化とともに中国から伝来して発達したものですから、その道具類も当初は中国からの輸入品が使用されました。このように、おもに中国で制作されたさまざまな輸入品の総称を「唐物」と呼びます。茶の湯の道具に用いる唐物の工芸品・美術品となると、鎌倉時代以降の宋・元・明時代の輸入品を主として指します。特に、13世紀、鎌倉時代には禅宗の僧侶たちによって多くの唐物がもたらされ、15世紀前半には、室町幕府がいわゆる「勘合貿易」を明国と行って以降、多くの品々が日本に輸入されました。室町将軍の周囲には、それらの唐物を鑑定し、それらの飾り方を担当する「同朋衆」と呼ばれる専門家が現れ、茶の湯の文化の成立に大きな役割を果たしました。この頃の茶の湯を「書院の茶」と呼んでいます。 15世紀の後半になりますと、茶の湯の文化は人々の日常生活の中にも広がり、道具類も日本で制作されたものが用いられました。これらの国産の道具類を「和物」と呼んでいます。特に、和物の焼物には、唐物にない素朴な土の味わい深さがありました。この和物の道具類を茶の湯の世界に採り入れたのが珠光でした。珠光は、「和漢のさかいをまぎらかすこと肝要々々」(「心の文」)と述べ、唐物と同等に和物を高く評価し、「草庵の茶」つまりわび茶の可能性を開いたのです。わび茶の流行とともに朝鮮半島各地の民窯で雑器として制作された茶碗も、「高麗物」と呼ばれて、日本では抹茶茶碗として用いられるようになりました。また、16世紀には南蛮貿易も盛んになり、中国南方や東南アジアの製品も「南蛮物」として茶の湯の道具に採り入れられました。茶の湯は、このように国際的な文化の広がりの中で、異文化を積極的に採り入れる一面がありました。
93
Copyright© 2005 OMOTESENKE Fushin'an Foundation. All Rights Reserved.