19世紀の後半から、明治維新を契機に茶の湯は衰退の時期をむかえます。明治維新とそれに続く文明開化は、茶の湯にも大きな打撃を与えました。その理由の一つは、茶の湯の支援者であった大名や上級武士がいなくなってしまったことです。ことに茶の家元にとって、大名や武士によって支えられていた部分が大きかったのです。 もう一つの理由は、文明開化として西洋化の波が押し寄せて、日本の伝統文化がかえりみられなくなったことです。 こうした衰退のなかで、茶の家は大きな打撃を受けますが、家元を中心に茶の伝統が絶えぬよう懸命の努力を続けました。遊芸から脱却して近代の国民にふさわしい教養へと茶の湯を変革する試みや、西欧風の生活習慣にも合う椅子とテーブル式の茶の湯(立礼)を考案するなど、新しい時代にふさわしい茶の湯が創造されました。やがて、女子教育に茶の湯がとり入れられるなど、茶の湯復興の芽が生まれてきます。
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