この句は、覚々斎が江戸で徳川八代将軍吉宗から唐津の茶碗を拝領し、それを携えて京都に帰る旅の道中でよんだものです。この拝領の茶碗について、猶有斎宗匠は
歴代冊子『覚々』の「覚々斎の生涯と茶の湯」のなかで、次のようにお書きになっておられます。
享保八年に、覚々斎は江戸においてその吉宗から「桑原(くわばら)茶碗」として今日知られる唐津の茶碗を拝領した。この茶碗には、内箱甲に唐津藩主土井大炊頭(おおいのかみ)から将軍家へ進上された旨が書かれ、その箱裏には覚々斎参禅の師である大心義統によって、取次をした小納戸衆(こなんどしゅう)桑原権左衛門(ごんざえもん)の名をとって付けられたという銘の由来と、十月八日に拝領したものであることが記されている。さらに外箱には覚々斎が九月十九日の江戸長屋での茶会に桑原権左衛門を招き、その後十月八日に茶碗を拝領したこと、さらに茶碗の袋は妻の秋に縫わせたものであることが記されている。
吉宗は紀州徳川家五代藩主から徳川八代将軍となりました。覚々斎が紀州徳川家に出仕していた間、吉宗が藩主の時代もあり、桑原茶碗を拝領したのもこうした深い縁があったのです。