そしてこの時、覚々斎は徳川八代将軍吉宗公から何か面白い茶碗をつくってほしいと所望され、象の足の形を模した赤茶碗をつくりました。さらに覚々斎は茶碗の
高台脇に黒漆で「象」と書き、花押をしたためています。この茶碗は「象太郎」と名付けられました。享保14年(1729)、覚々斎は六代紀州藩主、徳川宗直公の参勤交代に随行して江戸に滞在しています。『南紀徳川史』によれば、この年の6月23日、宗直公は江戸の紀州藩の中屋敷で舶来の象をご覧になりましたが、それは吉宗公からのお達しで、御家中の末々まで見物を仰せ渡されたといいます。覚々斎が象を見たのもこの時であったと思われます。
覚々斎は手づくりした象太郎の茶碗を吉宗公に献上しました。そして覚々斎没後の寛保3年(1743)、如心斎が徳川家からこの象太郎を拝領しています。それは、如心斎がこの茶碗の外箱に「象太郎 御茶碗 癸亥 宗左拝領」と書付けていることからわかります。さらに如心斎は象太郎を拝領してから、その披露の茶会をおこなっています。