如心斎はこの茶碗をこよなく大切にしましたが、如心斎の茶会記にみるかぎり、実際に茶会で「待宵」の茶碗を用いた記録はありません。しかし、八代啐啄斎の茶会記にはこの茶碗を用いた茶会が何会か見えます。
そのなかで、啐啄斎が文化元年(1804)10月9日昼に催した茶会は、森井惣兵衛、藪四郎兵衛、井上可右衛門の3人の門人を招き、「待宵」の茶碗を用いています。この茶会は、啐啄斎が藪四郎兵衛に「茶通箱(さつうばこ)」と「茶筌飾(ちゃせんかざり)」の相伝を伝授した茶会でした。
啐啄斎が大切な相伝を伝授する茶会で「待宵」の茶碗を用いたのも、自らが利休居士以来の千家の茶の湯の教えを受けた父如心斎におもいを致し、そのゆかりの道具を取り合わせたからでしょう。啐啄斎にとっても、「待宵」の茶碗は如心斎から受け継いだ大切な茶碗でした。
この「待宵」の茶碗は、現在開催されている表千家北山会館の特別展
「家元に伝わる茶の湯の道具(五)表千家歴代ゆかりの茶碗、服紗」において、家元から特別出品されています。