村田珠光は、わび茶の祖といわれます。確かな伝記はわかりませんが、奈良の出身で、はじめ僧侶であったとも伝えます。しかし、後には京都に住み、町衆として財をなしたようです。 村田珠光がわび茶の祖とされるのは、「心の文 」という重要な文章を残したからです。「心の文」は茶の湯が人間の成長をもたらす心の道であるということを示唆しています。そのなかには宗教的な、特に禅宗の影響があると思われますが、おそらく一休宗純との親交があり、一休から「圜悟の墨跡」を受けたという伝承もまた珠光の禅的背景を語るものといえます。珠光の「心の文」には、「和漢のさかいをまぎらかす」という言葉があって、それまでの唐物中心の茶の湯の道具に対して、和物(国産品)をどのように唐物と調和させて新しい美をつくるかというところに珠光の関心がありました。また珠光は「月も雲間のなきは嫌にて候」という文章を残していて、満月の皓々(こうこう)と輝く月よりも雲の間に見え隠れする月の方が美しいと述べています。こうした不足の美を楽しむ心に珠光の創造したわび茶の主張がありました。
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