文政5年(1822)に紀州家より拝領した門が表千家の表門となりました。武家屋敷の門も、さすがに武家風のいかつさがやわらげられ、茶の家元にも不自然でない姿を小川通りにあらわしています。 門から玄関へ向かう清々(すがすが)しいアプローチ、視界に入る塀や建物のたたずまいは、格式張ったところもなく実に穏やかです。昔から「異風になく、結構になく、さすがに手ぎわよく、目に立たぬ」ことを理想としてきた茶の湯の心意気がみなぎっているようです。利休の聚楽屋敷以来の伝統が今も息づいているのです。各地の門人は、こうした家元の建物や庭のありようを見学して、自身の住まいに取り入れ洗練を心がけてきたのでした。こうした家元の建築や庭が日本の住まいの文化に果してきた役割と影響は実に大きく深いのです。
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