茶の湯の修行には、点前・所作の修練は勿論、道具についての知識を修得して、多くの道具をどのように取合せるかが大切です。 ところで、「茶の道具」の茶室における働きや意味あいが道具ごとに異なり、差異があるところから、「道具ニ遠近」ということが考えられ、これは古く利休の時代から伝えられる「道具の心得」でした。ここにいう「遠近」とは大切さ加減ということでしょう。濃茶を点てるための「茶入」や「天目茶碗」は「茶ニ近キ第一」として、最も大切な道具とされていました。「茶ニ遠キ道具」としては、花入、その他があげられており、こうした「遠近」ということも取合せの大切なことがらでした。 また道具の取合せということでは広間(四畳半以上の茶室)にての道具と、小間(四畳半より狭い三畳・二畳といった茶室)にての道具に大きな差異がみられます。小間(草庵の茶室ともよばれる)の茶室に取合される道具は「わびの道具」とよばれる「特殊な美しさ」の道具といえるものです。 「わびの美」はそれ自身が持つ充分な美しさには欠けており、他のいくつかの道具の組合せにより、その色合いや形を互いに補い合うことによってはじめて、まとまった美しさを生み出します。多くは単調な落着いた色彩をもち、それ自体が美しいとはいい難い道具が「わびの道具」です。「直ちに美しいとはいえぬものに美を感じる」のが「わびの美」であり、道具をみる人の心の内に、色なき所、色合い乏しい物に、より深い色合いを見る特殊な境涯が求められます。それは多く禅的な思考(不足を不充分とみることなく、不足こそ心の働きを助けるとする積極的な思考)があらかじめ茶室に寄り合う人(主客共)にもとめられるものです。このようにわびの美の理解のためには、茶人として格別の心的修練が要求されるわけです。
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