宝暦1年 1751
如心斎、子息の 啄斎に遺言の文「云置」を残す。
明和7年 1770
松平不昧(1751-1818 出雲松江藩主で 大名茶人)、『贅言』 を著して遊芸化した茶の湯を批判。
天明7年 1787
酒井宗雅(1755-90 姫路藩主で 大名茶人)、松平不昧より茶の湯の皆伝を授けられる。
天明8年 1788
天明の大火により千家類焼。
寛政1年 1789
啄斎、天明の大火で焼失した千家を復興し、利休200年忌の茶事を催す。
寛政9年 1797
松平不昧の編纂による 『古今名物類聚』 が刊行される。 |
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1772
田沼意次、老中となる。
1774
『解体新書』 著される。
1783
与謝蕪村没。
1787
徳川家斉、11代将軍となる。
老中の松平定信によって寛政の改革はじまる。
1790
寛政異学の禁。 |
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