宝暦1年 1751
如心斎、子息の 啄斎に遺言の文「云置」を残す。
明和7年 1770
松平不昧(1751-1818 出雲松江藩主で 大名茶人)、『贅言』 を著して遊芸化した茶の湯を批判。
天明7年 1787
酒井宗雅(1755-90 姫路藩主で 大名茶人)、松平不昧より茶の湯の皆伝を授けられる。
天明8年 1788
天明の大火により千家類焼。
寛政1年 1789
啄斎、天明の大火で焼失した千家を復興し、利休200年忌の茶事を催す。
寛政9年 1797
松平不昧の編纂による 『古今名物類聚』 が刊行される。 |
|
|
1763
イギリスで上流階級の婦人た ちに アフタヌーン・ティーと
コーヒーが流行。
1772
イギリスのレットソン博士、『茶の博物学』 を著す。
1773
ボストン・ティーパーティー事件(ボストン港に入港したイギリス東インド会社の船が襲撃され、荷積みの茶箱が海に投げ捨てられた事件)おこる。
1798
オランダ東インド会社、経営不振により解散。 |
|