寛永3年 1626
『草人木』 (最初の板行茶書)出版される。
寛永13年 1636
小堀遠州(1579-1647 古田織部の弟子で徳川将軍家の茶道指南)、徳川家光の数寄屋御成り (茶の湯を目的とした御成り ) を迎える。
寛永19年 1642
江岑宗左、紀州徳川家に茶堂として出仕。
細川三斎(1563-1645 千利休の弟子で三斎流の流祖)、徳川頼宣(1602-71)の茶会に 招かれ、江岑宗左が茶堂として出座。
正保3年 1646
宗旦、隠居。江岑宗左、宗旦より千家の家督を相続して表千家の基礎を固める。
慶安1年 1648
片桐石州(1605-73 石州流の流祖で徳川将軍家の茶道指南)、江戸で江岑宗左を茶会に招く。
慶安3年 1650
上田宗箇(1563-1650 古田織部の弟子で上田宗箇流の流祖)没。宗箇は利休茶会記にも名がみえる。 |
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1638
ヨーロッパに紅茶が入る。
1641
ニコラス・ディルクス (オランダの医師で『医学論』 を著す)、茶の薬用効果を主張。
1646
イギリス東インド会社、茶の輸入を開始。 |
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