永正年間 1504-21
豊原統秋(1450-1524 楽人で笙の名手)、京都の邸内に「山里庵」を営み「市中の山居」のさきがけをなす。
大永2年 1522
千利休生まれる。
大永6年 1526
連歌師宗長の日記に、 村田宗珠(珠光の嗣子)が京都の下京でわび茶をおこなっていたことが記される。
享禄1年 1528
武野紹鴎(1502-55 千利休の師でわび茶を深めた)、三条西実隆(1455-1537 公家、室町時代を代表する文化人)の弟子となり、
のちに藤原定家の歌論書『詠歌大概』 を伝授される。
天文2年 1533
松屋久政(?-1598 奈良の塗師)、『松屋会記』 を起筆。のち久好・久重によって慶安3年(1650)まで書き継がれる。
天文11年 1542
武野紹鴎、茶会で 「松島の茶壺」「玉澗の波の絵」などの名物道具を用いる。
天文17年 1548
天王寺屋宗達(1504-66 姓は津田、堺の町衆)、『天王寺屋会記』 を起筆。のち宗及・宗凡によって天正18年(1590)まで書き継がれる。 |
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1543
ポルトガル船、種子島に漂着。鉄砲伝来。
1549
キリスト教伝来。 |
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