座具として使っていた畳を、床(ユカ)に敷き詰めるためには、畳を規格化する必要がありました。そのためには建築の技術と調整しなければなりませんでした。すなわち建物を建てる時の柱間の基準を決めることです。そこで柱間を6尺5寸と定め、柱の寸法を4寸として、2間(柱間2つ)の間(12尺6寸)に2枚敷ける畳の寸法は6尺3寸(約190cm)です。こうして6尺3寸×3尺1寸5分の畳の規格が生まれました。これが近畿地方を中心に広まった「京間」と呼ぶ規格です。 足利義政の東山殿の諸室は、すべて畳が敷き詰められていました。この後は大工の技術も、京間の畳を敷き込むことができるように柱を立てる「内法柱間制」に移行しました。しかしこの技術は関東には広まりませんでした。関東の大工は、「心々柱間制」に固執しましたから、畳の寸法は京間より短く、5尺8寸(約175cm)が標準となりました。これを江戸間(田舎間)と呼びました。茶の湯では京間の畳が基準となっています。
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