山中に庵を結んだ鴨長明のような隠者は、世俗と交わりを絶って不自由ながら志は高く生きようとする人たちでした。室町時代には、そうした隠者を憧れる風潮がありました。そして隠者の境涯になって、親しい友を招き、心を尽したもてなしをする遊び「茶の湯」が流行しました。 町なかの住まいの中にあっても、茶の湯の場は「山居ノ体」につくられ、茶室も隠者の庵を理想としたのでした。茶室は六畳か四畳半程の小室でしたが、畳を敷き詰めた座敷でした。村田珠光の茶室と伝えられるものは、入口には縁がついていて、室内は一間(けん)の床を設け、炉を切った四畳半でした。茶の湯では身分の高い人とも同席できる楽しみがありました。そのためには座敷で、床のあることが必要でした。そしてもてなしには座敷飾りも欠かせません。しかし隠者には殿中のような座敷飾りはできません。それで床にせめて一幅の掛物をかけ、花を生けることを作法としたのです。書院造りにおける座敷飾りが、茶の湯の世界では、大いに省略されたのです。
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