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利休以来、千家においては露地を掃除する時、その自然なままの姿を大切にする習いがあったようです。露地の落葉は、ある程度そのままにしておくことで、いかにも深い山道を歩いているような気分を客に感じてもらうことができると考えられたのでしょう。
利休の茶の湯に招かれた能の小鼓打の観世宗拶(かんぜそうさつ)が露地をみて、「采女」(うねめ)の謡の山郭公(ほととぎす)であると言いました。謡曲「采女」の前段には、シテがよく茂っている春日(大社)の森に木を植えるのに対し、ワキがその理由を尋ねると、シテはさらに木を茂らせるのは神の加護をうけることになると語る場面があります。つまりそれは利休の露地が春日の森のように深く茂っていたことのたとえで、宗拶はそうした露地の姿に深く感動したのです。 随流斎のこのことばは、千家に伝わる露地の美を端的に表現していると言えるのではないでしょうか。
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