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利休が山住まいをしても寂しくはないとしてあげた道具は、利休のわびの境地をうかがわせるものでしょう。なかでも高麗筒の花入は、利休が晩年、とても大切にして茶会でもよく用いています。天正13年(1585)正月晦日(みそか)、利休は山上宗二と天王寺屋津田宗及を招いた茶会で高麗筒に梅の花を入れました。この茶会は宗及が茶会記に書きとめていて、宗及はこの花入を「かうらいもの(高麗物)か」と記しています(『天王寺屋宗及他会記』)。
また天正15年正月12日朝、利休が博多の神屋宗湛を招いた茶会では、高麗筒に白梅を入れました(『宗湛日記』)。
高麗筒の花入は、まさに利休のわびを象徴する一つの道具であったことがわかります。
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