世界の喫茶文化

茶の湯の伝統

利休の茶の湯とその流れ

茶室と露地

形とふるまい

茶の湯の道具

茶の湯の楽しみ

静聴松風

茶人のことば

村田珠光「心の文」

武野紹鴎『山上宗二記』より

千利休『逢源斎書』より

千道安「茶の湯道歌」より

千宗旦「元伯宗旦文書」より

千宗旦「茶杓絵讃」より

江岑宗左「江岑宗左茶書」より

千少庵
   「少庵の事績 京都と会津」

随流斎『随流斎延紙ノ書』より

その1  その6  その11  

その2  その7  その12

その3  その8  その13

その4  その9  その14

その5  その10  その15

表千家の茶事

内弟子「玄関」の一年

茶の湯の歳時

茶の湯の菓子

茶室への誘い

利休をたずねる

花所望

随流斎 「随流斎延紙ノ書」より その6
さミしき事ハ有間敷と云
利休が山住まいをしても寂しくはないとしてあげた道具は、利休のわびの境地をうかがわせるものでしょう。なかでも高麗筒の花入は、利休が晩年、とても大切にして茶会でもよく用いています。天正13年(1585)正月晦日(みそか)、利休は山上宗二と天王寺屋津田宗及を招いた茶会で高麗筒に梅の花を入れました。この茶会は宗及が茶会記に書きとめていて、宗及はこの花入を「かうらいもの(高麗物)か」と記しています(『天王寺屋宗及他会記』)。
また天正15年正月12日朝、利休が博多の神屋宗湛を招いた茶会では、高麗筒に白梅を入れました(『宗湛日記』)。
高麗筒の花入は、まさに利休のわびを象徴する一つの道具であったことがわかります。

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Japanese Tea Culture